1. すべての宗教の教えを尊び大切にします。

 当会は、特定宗教団体に所属していません

また特定宗教団体により運営もされていません。 

全ての宗教の教えを尊び大切にする有志の会です。  

有志たちは、 各々先祖の代から家に伝わる、各々の宗教を大切にしています。

 

 タイの仏教寺院へ参拝すれば、タイ人と等しく仏教の教えを尊びます。 またフィリピンのキリスト教会へ行けば、 現地の人と一緒に、当たり前のように十字をきりイエス様やマリア様に手をあわせます。 全ての神仏を尊び、あらゆる聖者を尊び、その真理の言葉をできる限り守る努力をしています。 

 

 

2. 徳分積みのお手伝いする事が当会の目的です。

 信仰を大切にするアジア諸国と今の日本を比較した場合、 残念ながら徳分積みが出来るというには、程遠い環境です。 徳分を積むという行為どころか、 徳分を使い果たして行くのが現代日本の生活といっても過言ではありません。 

 

 良い業(カルマ)と悪い業(カルマ)の働き、という考え方は、ある程度 この日本でも浸透しています。 しかし良いカルマといわれる徳分をいかにすれば積んでいくことが出来るのか? という考え方は日本では根付いているでしょうか? 昔あった考え方も廃れ多くの年月が経っています。  やはり信仰を持たせないようにとしてきた戦後教育が奏しているせいなのでしょうか? 徳分積みの出来る環境は、タイなどに比べ皆無といっても良いでしょう。 

 

 日本でも、例えば 宗教団体にお布施を出すという徳積みがあります。 確かにそのような徳積みもあるでしょう。

 

しかしタイでは、全く違う徳積が大切と言われます。 

 

その中でも、今 まさに殺されようとしている生き物の命を助ける事をする徳積みが、最も大切と言われます。 

 

なぜなら、宗教団体や寺院に寄付するわけでもなく、 お願いの替りにお布施をするわけでもなく、何の見返りもない、純粋な行為だからです。 

 

 では実際 タイではどのような徳積みをすると良いと言われているでしょう。

 

仏教国タイでは、 各自が地元のご縁のある寺院というものはあります。 しかし特定の寺院だけでなく、 機会がある度に多くの寺院に参拝してお布施をして徳積みをしていきます。 毎日の生活の中でお坊様の托鉢により徳分を積ませて頂くという方法も一般的です。

 

 なぜならタイでは、タンブン(徳積みをする行為)がとても大切であるという考え方が社会の中で深く浸透しているからです。 タンブンする事自体が歓びであるというお国柄です。

 

 タイ寺院では、 目的別にお布施の箱が用意してあります。 中には棺代を出せない貧しい人のために、葬儀用の棺桶を買うためのものまであります。 

 その中で言われる事は、 大きな病気になった場合は、自分の徳分が少ないから病気になったのであり、 自分の命を助けてもらうためには、他の命を救う徳積み、 則ち放生(ほうじょう)により生き物の命を助けるという徳積みが大切であると言われます。

 

【徳分について】

特に大きな病気の際、放生で出来た良いカルマ(徳分)も、タイムラグがあり、しばらくしてから本人に届く事が多い事も事実です。 そしてカルマと徳分は、皆それぞれ個人により違いがあります。 前の人生から今世によるものなのです。 

 

 大きなカルマがあれば、徳分があれば何らかの形でクッション材にとして大難を中難または小難にしてくれるでしょう。 または何かの障害となる存在のようなモノがあれば、 徳分を更に積まなくてはならないでしょう。  

 皆ひとそれぞれ徳分と悪いカルマの程度の差、違いがある、という事になります。 (あの人は、数回の徳積みをしただけで良くなったのに、なぜ自分の場合は違うのだろうと思う場合は、先ずは、カルマと徳分は、皆それぞれ違いあるとご理解下さい。 因果と応報の法則は、即効性のあるものとして表れるより、 少しづつ気づかない程度で徐々に効いてくるという類いのモノと考えて頂くと分かり易いかもしれません。) 

 

例えば、

病気に関して言えば、 自分がどう対応したら良いか分からないときに、その分野では名医といわれる人との引き合わせてくれる御縁頂くという場合もあるでしょう。 良い御縁を頂く機会を与えられたのは何故でしょう? それこそが、徳分のお陰といっても過言ではありません。 

 

難易度の高い手術、治療が滞りなく、上手くいく、これも徳分のお陰でしょう。

 

では、現在、健康に恵まれている人は?

もちろん、 無病息災でいられる事も、多くの徳分があるからです。

 だからこそ、過去の人生で積む上げてきた徳分を使うばかりでなく、 こういう人こそ、積極的に放生等で、今世でも徳分を積む事で、来世にも渡り、その恩恵を持ち越す事が出来るでしょう!

 

 今まさに、殺されかけている生き物を助ける。 見返りを求めない行為は尊き行為であり、 命を大切にするという行為は、どの宗教にとっても大切な教えです。 特定の宗教という垣根を越えてた放生(ほうじょう)の本質がそこにあります。  そして特定の宗教的儀式をする必要もなく行う事が出来るのが、良い点といえるでしょう。 

 

 そして他の人の徳積みを助ける事自体が、 また一つの徳積みであり、 お世話するする事自体も徳積みとなります。 そのために当会の有志が結成されました。 

 

 

 

  【参加希望:お問合せフォーム】

 

 

 

 

 

3.  無理な勧誘等は一切ありません。 相互のプライバシーを尊重いたします。

 当たり前の事ですが、一度参加されたからといって二度目を強く誘ったり、 強要する事はありません。  一度どのようなものなのか? 知りたいという事でしたら、是非 【具体的にできる放生(ほうじょう)】のページを御覧ください。

 

 当会 有志たちも普段は仕事を持ちながらの、 お世話係りですので、 ご質問等にスグに時間が取れない場合が多いと思われます。 放生実践会の日には、 もちろん、ご質問等ありましましたら、可能な限りの知っている範囲でお答え致したいとも思っています。

 

  通常は、 放生実践会の当日以外は、お返事にお答えするまでに時間がかかることがシバシバあるかと存じますが、 ご理解頂けましたら幸いです。

 

 お互いのプライバシーを尊重した会です。 よって開催予定日等の詳細はHPでお知らせするだけです。 勧誘のメールマガジンなどもありません。 顔写真等の個人が特定できる内容掲載等は致しません。 

 

 委託や実際に現地参加したからといって、次回以降のお誘いメールは特別にご要望が無い限り致しません。 なぜなら、徳積みする行為を他の人に対して催促したりするのは、変な話だからです。

【本音を言えば、その勧誘メールを打つ時間があるなら、他の事をしたい、と思っています。】

 

徳積みという行為は自発的にするものだと考えます。

(徳積みという行為は神仏からみても非常に尊いものです。 しかし、次もどうぞ、とお誘いすると返って相手の方にとっては心理的負担が生じるかもしれないという事もあります。 そういう理由で、次回も主催者側から、積極的にお誘いする事はしない、という趣旨です。)

 

冷たく感じられるかもしれませんが、 2回目以降は参加しないという方への心理的負担を無くしたいという意味も実はあります。 

 

 参加者の方も、 当会の開催風景を参加者の方の同意なく顔写真や御名前等をブログやそのほかの媒体に掲載する事がないように強くお願い致します。  

 

直接 お問合せのあった方のみ開催日の詳細等をお知らせ致します。

 

  【参加希望:お問合せフォーム】

 

4: 個々のメール対応は出来ません。 電話対応も致しません。 なぜなら、末永く活動するためです。

 

この様にお伝えすると厳しく聞こえてしまうかもしれません。  しかし、通常は世話役も普段の仕事があります。 その中で、年に数度程度は、放生する事で皆さんの徳分つくりのお手伝いをしたいと考えています。  

 

 大抵のご質問は、放生された当日にお答え出来る内容がほとんどです。 

 

放生実践の日に皆さんと直接お会いし、その時に色々とご質問にお答えしたいと思っています。 

 


 【備考として】

徳分(タンブン)について:

 

タイでは良い行い(業:カルマ】をする事を2つに分けています。

➀人を助ける行為をタンターン【いわゆる、ボランティアや人助けの部類】 

➁神仏の役に立つ行為をタンブン【本来の意味である、徳積み】

 

日本人は➁の神仏のために徳分(タンブン)が出来る環境にいるのでしょうか?

 

日本では、朝に僧侶が町で托鉢を行う行為というものは、なかなか見かける事ができません。

しかし、タイでは朝の托鉢は一般市民の生活の一部です。

 

煩悩と執着を捨てるため、一番大切な家族との縁を切り、227の戒律の中で、タイのお坊様は毎日を過ごします。 所有物は、質素な袈裟くらいのモノです。 全てを煩悩と執着の原因となる世俗的なモノを捨てて生きているタイのお坊様の修行こそが、仏様の叡智を基にしておられます。 しっかりとした叡智が多くのタイ寺院にはあるので、ニッパン(涅槃)へ行くお坊様が今のこの現代でも時々おられる訳です。

 仏様が説かれた道をシッカリと歩かれるタイのお坊様が多くいる事もあり、タイ社会全体の中で、お坊様は大いなる尊敬の対象となっています。 生臭坊主、拝金主義という言葉から縁遠のが、タイのお坊さんである訳です。 (タイだけでなく、ミャンマー、ラオス、スリランカ周辺の仏教国では、 お釈迦様の教え(ダルマ)によりお坊様は修行されています。)

 

 托鉢は、 僧侶に食事やお金の施しを与えるものではありません。 

在家の人間が、お坊様が朝の托鉢をされる事で徳積みを積む機会を与えられている、有り難い行為です。 それもお寺に在家の人が出向かなくてもです。 (言葉を変えれば、 自分の所まで来てくれる有り難くも、徳分を積むために、来て下さる訳です。) 

 

徳分を人々が毎日でも積めるような配慮の元に托鉢が存在します。 

 それほど、日常生活から日本と仏教国であるタイの生活は、違って来ている訳です。

 

少し端折っての話にはなりますが、

徳分には3つの種類があります。

➀体施

➁法施

➂物施

です。

 

例えば、自分達で放生する場合は、自分達のお金で(物施)し、 自分達の躰を使い(体施)します。

 

徳積みという概念をみていくと、日本人は困った時はお互い様の精神で、災害募金や、ボランティア活動等には熱心に行われている、いわゆる、人に体しての行うタンターンの精神は広く認識され、多くの方が実行されている事でしょう。  

 

 しかし、本当の徳分(タンブン)である、神仏に対して行う良い業(カルマ)については、 行う機会すら、なかなか与えられていない環境である、といっても過言では無いと思われます。 

 

 徳分があるから、ある程度恵まれた環境で生まれて来る。 しかし、徳分を積む事を、ほとんど出来ないで生活しているのも日本人です。 少し乱暴な言い方かも知れませんが、 折角の前世からの徳分がある人が多いのにも関わらず、 今世や来世のために徳積が、ほとんど出来ていない。 大事な徳分を使い果たして人生が終わるのが現代の日本人、と言っても過言では無いかも知れません。

 

マリア様 日本
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仏様 チベット カイラーサ
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仏様生誕の地 ネパール ルンビニ
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