2017年9月10日(日) 放生の様子と徳分の役割について

仏歴2560年(2017年)9月10日  岐阜県恵那市にて徳積みのために放生会を行いました。

 

放生した魚はアユが150匹、大きな鯉が3匹です。

段ボール箱では、4つでした。

 

放生の有志のお手伝いが4人、委託者6名(埼玉2人、奈良1人、大阪1人、岐阜2人)でした。

 

 放生は昔ながら、命を助ける、徳分を積む行為で色々なアジア諸国では行われてきているようです。  そのお陰で日本の方だけでなく、今までに中国、韓国、香港 そして遠くはオーストラリアの方にも、委託を含めて、この放生実践会に参加して頂いています。

 

 魂が過去世、今世、そして来世へと持ち越す事が出来るものは、2つ【悪いカルマ(業)と良いカルマである徳分】だけと言われています。 

 

 今回も、皆さんが持ちよられた喜捨(ドネーション、お金という物施)により、150匹以上の魚の命を助け、放生する事が出来ました。 参加された方は、そのために時間と労力を費やすので物施だけでなく体施にもなります。

 

 他の命を尊び助ける。見返りを求めない純粋な徳積みという行為は、結果として、自分が病気になる、ケガをする悪いカルマがある場合は、積んだ徳積みにより大難を小難へとしてくれる緩衝材のような形をとり、色々な場面で助けてくれるものとなります。

 

 生きている間にだけ、積むことが出来る徳分(法施、体施、物施)です。

死んでからでは、徳分は積む事は皆無となります。 生きている間だけ、特に人間という存在にとっては、徳分を積むという行為が出来る訳です。 いわば人間の特権であるわけです。 

 

 周りの環境をみてもそうですが、今の多くのアジア諸国は、一部を除き、ある程度の生活レベルで、ほとんどの方が暮らすことが出来ています。飢餓する心配は、ほぼありません。 ある程度の生活レベルで暮らしていく事が出来る訳です。

 

 色々な側面から見ても私たちの暮らしは概ね他の世界の地域に比べて恵まれています。 しかしながら、日本での生活は、徳分が積みにくい状況でもあります。 タイなどで見受けられる御坊さん(最終的にはお釈迦様の究極の教えであるニッパン(涅槃)へ到達される事を目標にされている方)への托鉢というものすら、お目にかかる事がほぼ無いのが日本の状況です。 

 

 徳分を積む生活に密着していない日本、もっと厳しい言い方をすれば、前の人生からの徳分があるにも関わらず、今回は日本で生まれてきたり、生活する事により、徳分をただ使い果たしてしまうような生活で過ごしてしまっているといっても過言ではないかもしれません。

 

 過去からの徳分がある程度あるからこそ、今の生活がある訳です。 今世だけでなく、来世のためにも出来る限り徳分が積める生活が出来るように心がけたいものだと思います。

 

 次回の放生は10月22日(日)の予定です。 参加ご希望の方、委託希望の方は1週間前までにご連絡お願い致します。